振り返ればオアシス!

桜田紋吉(もちろん仮名)です。特に何のテーマも無いブログ《ノンポリブログ》です。過去のエピソードを書く時は事実を元にして右往左往しながら書いているので100%ノンフィクションかと言われたら胸を張って「知らん!」と答えるつもりです。

こうやって俺は大学生になった。

こんにちは。桜田紋吉(もちろん仮名)は私どすえ。今日もシクヨロのヨロシクでお願いします。








本日の『は?』なんでずげどもぉぉぁ







Twitterをコッソリ開始して一年が過ぎました。


コッソリし過ぎて今もフォロワーの数が『2』という


もう死んでいるも同然の『誰に呟いているの?状態』を維持しております。


Twitterを放置しているわけではないのに・・・


『2』て・・・


ある意味『天文学的数字』だと自負しております。








しかも笑っちゃうのが・・・


フォロワー『2』の内の一人が


【川崎北部市場 水産部】って・・・










・・・・いや、誰?(笑)


なんで神奈川県にある市場の公式Twitterが俺をフォローしてんの?(笑)


このブログ読んでんのか?(笑)


マジで謎。


いつの間にフォローされたんだろ。。。







というわけで!今回の『は?』は・・・


『は?完全な誤作動だろコレ!でも機会があれば行ってみたいな~!』


の『は?』でした。












では・・・本題に入りやす。








今の時期、高校三年生の人は大学受験で忙しいと思う。(全員が忙しいとは言っていない)


もちろん俺も高校三年生の時代はあった。(今から15年ほど前かな?)


何を隠そう俺も大学には合格した。


そして入学した。


そして中退か除籍か何か分からんが途中で辞めた。







ってか・・・


過去のブログで『高校時代は暗黒だった』『高校入学した瞬間から勉強が意味不明だった』と豪語している俺。


じゃあ何で・・・


大学に入学したの?


何で大学に合格したの?そもそも何で高校卒業できたの?留年してないわけ?


・・・等々、自分でもツッコミどころ満載である。









自分の歴史を記録しておくという意味でも『この辺(16歳頃~20歳頃)の流れ』は書かないわけにはいかないので


今回はソコを書いておこうかと思う。(つまりオチもないし、おもしろポイントもないブログになってしまう。まぁいいだろ)









まず改めて確認だが・・・


俺は高校時代の勉強は1ミリも理解出来なかった。三流の進学校ではあったが、それでも完全に理解不能だった。


『1ミリも』というのは大袈裟かもしれないが


試験をガチで受けると100点満点で20点前後ってレベルだった。それも『◯かXを書きなさい』みたいな問題を神頼みで書いて、結果20点って感じだ。


つまり『1ミリも授業内容を理解していない』と言っても過言ではない。


しかし


俺は高校を卒業している。留年もしていない。


俺が通っていた高校では中間テストや期末テストで30点以下なら赤点になり


赤点を取ってしまった科目は、通知表では5段階で『1』の評価になる。


その『1』が何個か集まれば留年になる。正直あんまり詳しくは覚えていないが・・・こんな感じのルールだったと思う。








それなのに・・・


20点しか取れない桜田紋吉(もちろん仮名)は一度も赤点になったことがない。


通知表に『1』が記載された経験もゼロ。


それは何故か?









理由は簡単。


カンニング』していたからだ。


とは言っても


「毎回カンニングしていたので高得点連発でした!」とかの話ではない。


毎回カンニングしてもギリギリ30点だったのだ。通知表もオール『2』だし。


確かにカンニングはズルいと思う。やっちゃダメだ。(誰が言ってんだ)


ただ・・・


俺がカンニングしたせいで誰かに迷惑を掛けたつもりは一切ない。


俺が赤点を逃れたから他の人が赤点になるってわけでもないし。


それでも「いや!努力して30点取った人とカンニングして30点取った人の30点を同じにしてはいけない!」と吠えられる可能性はあるが(誰から?)


もちろん俺が『努力で30点にいける能力』があれば勉学に励み努力した・・・はず。


しかし俺には『努力で30点にいける能力』は備わっていない。マジで備わっていなかった。だって全授業がスペイン語でやっているのかと錯覚するほどだったからね。


それでも


高校一年生の一学期だけはガチンコでテストを受けていたが


早々と『勉学ギブアップ宣言』を自分の中で発令し


勉強以外も【超絶暗黒高校生活】の真っ最中だった俺は『もう高校辞めようか?』とも考えた。


しかし


前に話したように『高校を辞めるなら大問題を起こして全員に迷惑を掛けて辞める』のが自分の中でのルールだったので(分からない人は過去のブログを見てね)


『勉強が無理だから高校を辞める』のは何か違うし『留年したから辞めます』も何か違うなと感じたので


とりあえずカンニングだけはちゃんとやっておこうと決めた。(何が『ちゃんと』だ)









カンニングの方法だが


とりあえずテストに出そうなのを一枚の紙にメモして


そのメモを縮小コピーして手元に隠しておくという単純な方法を実践していた。


『だったら30点以上余裕じゃん!』と思われるだろうが


まずもって授業の内容を理解していないので


『メモしていた範囲が出題されない』
『メモしている単語がそもそも理解不能
『小さい字を縮小コピーしているから字が極小で読めない』


・・・というバカ丸出しのカンニングだった。


よって結果は赤点ギリギリ。毎回ね。


今だから言えるけども


高校の先生達は俺がカンニングの常習犯だということを知っていた気がする。


ただカンニングしても最下位の成績だったもんで『注意してもなぁ』という感じだったんじゃなかろうか。ありがたい。










・・・で


カンニングでギリギリ高校三年生にまでなれた俺は卒業後の進路を決めなければいけない時期に突入していた。


何度も言うが


三流とは言っても一応は進学校だ。卒業後の『就職』は選択肢として学校側からは与えられない。


『進学』が当たり前の雰囲気であり大学・短大・専門学校のどれかを選択するのが基本である。(ごく稀に『就職』の人もいたような気がする)


しかし


『THEノンポリ』の桜田紋吉(もちろん仮名)は相変わらず・・・


何も考えていなかった。(さすが)


いや、何も考えていないというよりは


『自分が何をしたいのか・何が好きなのか』が分からないから、考えても無駄だよな・・・と思っていた。


だったら消去法だ!と思い、色々と練ってみたが


『勉強したくないから大学・短大・専門学校はないな』
『就職もまだ早いだろ・・・ないな』
自衛隊?100%ないな』
『楽しそうなのがいいなぁ~芸人か?・・・現実味がないな』
『全部とりあえず面倒くさっ』


・・・こんな感じで何も進んではいなかった。









気付けば高校三年生の夏が終わり・・・


大嫌いな体育祭・文化祭のシーズンも終わり(過去のブログを見れば俺がどれだけ学校行事が嫌いか分かるよ)


いよいよ進学に対する答えを固めないといけなくなった。


『はぁー・・どうしようかなぁー・・』


と相変わらずグダグダな俺は


担任の先生から職員室に呼ばれた。











先生「進路どうする?」


桜田「ねぇどうしましょう?」←他人事かよ


先生「大学は?行く気ないか?」


桜田「ないっすね。今から受験勉強とか無理っすね。」(しかも毎回カンニングだから脳ミソは中3で停止しているし)


先生「いや、面接だけで行ける大学があると思うけど?」


桜田「・・・・は?マジすか?」


先生「おまえが大学に行く気があるなら『推薦枠』を使って、大学の推薦入試を受験可能だけど。」


桜田「ん?俺の成績(クソ以下の成績ね)で『推薦枠』って使えるんですか?」


先生「それは受ける大学によって違う。一定のレベル以上の生徒しか推薦入試は受けたらダメですっていう大学がほとんどだけど、探せば【どんな生徒でも高校から推薦さえされれば推薦入試受けていいよ】って大学はあると思う。」


桜田「・・・へぇ。」


先生「しかも【どんな生徒でも推薦入試受けていいよ】っていう大学の中から【推薦入試は面接だけでいいよ】って大学を探せば進学できる可能性あるよな?」


桜田「・・・まぁそうっすね。」


先生「しかも!・・・いいか?桜田。推薦入試は10月にある。合格発表は11月だと思うが・・・もし合格してたら・・・」


桜田「・・・・してたら?」


先生「3月の卒業式まで何もしなくていいんだぜ!卒業を待つのみだ!」


桜田「はい!受けます!!!」(即答)









こうやって『11月から3月までダラダラしていいなら受験(面接のみ)するよ』というだけで決めた俺。


俺でも推薦入試可能な大学&受かりそうな大学を先生と一緒に探し始めた。


当たり前だが普通は【行きたい大学】を決めてから【そこに行く方法】を決める。


俺の場合は【行く方法は一つ】なので


【行けそうな大学】を探す。しかない。








余談だが・・・


この担任の先生に対して俺は


『よくよく考えると普通じゃないよな。普通だったら「もっと将来のことに真剣になれ!」とか言うのが教師なのに』


と最近まで思っていたが


今の年齢になったら分かる。


『そりゃあんな風な対応になるよな』って。


担任の先生とはいえ『組織の一員』である。


組織のトップである校長先生から言われていたはずだ。「本校は【進学校】なので自分のクラスの進学率を上げるように!」ってね。


だからこそ


俺みたいな生徒(何の考えもない人間)には『こういう生徒は面倒だから早く進路決めさせちゃお』って気持ちになっても変ではない。俺が教師でもそうするし。面倒な奴から片付けたいしね。













・・・・あっ。話を戻します。







担任の先生と大学を探し始めた俺。


当たり前のことだが『推薦さえあれば誰でもオッケー』『推薦入試は面接だけだよ』という大学は数が少ない。


そういう大学があったとしても


授業料がクソみたいに高額(一年間◯◯◯万円とか)のパターンだ。どっかのボンクラしか行けない。


それでも何とか探す俺&担任の先生。(全国の大学が無数に掲載されている本で探していた)


北海道から沖縄まで隅々まで探せばあるにはあったが・・・


当時の俺は『別に都会に住みたいとかココで暮らしてみたいって場所もないなぁー・・・親からは離れたいけど』という気持ちだったし


当時付き合っていた彼女も近くの学校に進学すると言っていたので『無理に離れた大学に行く必要もないな』と感じていた。









そんなこんなで・・・


『推薦さえあれば受験可能』
『受験内容は面接のみ』
『家からまぁまぁ近い』


↑この3つの条件に合う大学が一つだけ見つかった。福祉系の大学だ。もちろん俺は福祉には興味がない。が!そんなことを言っている暇はないのだ!


というわけで正式決定ではないが『この大学しかないよなぁ~。受けるならここだよなぁ~。』という気持ちになっていった。


しかし、その大学は『授業料は高額』という難点もあった。(さすがに◯◯◯万円はしないけど)










俺は・・・


絶対に『授業料』は親に払ってもらいたかった。(最低の息子なの?)


絶対に。だ。


なぜなら


母親の独断で高校生活を進学校で過ごすハメになったわけだから。


確かに『テキトーな理由で大学に行こうとしている俺』にも問題はある。



そもそも中3の時に工業高校を俺の要望通りに受けさせてくれてりゃ大学にも行かずに済んだんだよ!という気持ちが大きかった。


『アンタの判断で今の俺が出来上がってしまったんだから・・・授業料払うのは俺じゃないよな?』


という抜群の親不孝息子だったが・・・










さすがに授業料が『高額』となると話は別。


『高額』になってしまうと親不孝息子の俺でも心が痛い。


だって『行かなくていいなら行きたくはない大学』なわけだから。


『親のために行く』ってわけでもないし。


俺の授業料が高額なせいで兄弟のお小遣いが減らされたりすると・・・とか色々と考えてしまう。


とにかく『高額の授業料』が気になっていた。










とりあえず・・・


親に伝えてみて、どんなリアクションをするかで判断しようかな・・・










高校時代は親とほぼコミュニケーションをとっていない俺は(詳しくは過去のブログをチェック!)


久々に自分から親に話してみようと思った。










その日の夜・・・







紋吉「あのさ・・・進路の話やけど。」


母親「・・・進路?あぁ好きにしたら?」(この頃の母親は『息子の好きなことを幼い頃からやらせておくべきだった』と反省していた。反省しても遅いけど。とにかく『もう私が息子の可能性を奪ったらいけない』って感じで反省している様子だった)


紋吉「あのぉー・・・なんか大学を受ける流れになりそう・・・」


母親「・・・・えっ!!!大学!?」(驚いていた)


紋吉「そうそう。推薦入試で。」


母親「・・・へぇ~!!!大学!!!」(なんか嬉しそうに言ってた)


紋吉「いや、まだ『受けようかな』って段階やけん分からんよ。」


母親「・・・んん~?あっそう?いいんじゃない?大学?推薦入試?へぇ~!」(クソ息子から『大学』と『推薦入試』という言葉が出てきて嬉しさを隠せない様子だった。でも「絶対に行け!」とは過去の失敗があるので言えないという葛藤の表情をしていた)


紋吉「まだ受けるとは決めとらんけん何とも言えんとけども。」


母親「そう?悪くないと思うよ~。・・・うん。悪くないと思うよ~!」(「絶対に大学に行け!!!行ってくれ!!!」と今にでも言いたいって表情をしてた)


紋吉「ただ・・・行けそうな大学って授業料が困ったことに高額やもんね。」(本題に入りました)


母親「・・・・あっそう?奨学金で何とかなるんじゃないの?」


紋吉「奨学金?」


母親「そう。奨学金。お金を学校卒業した後に働きながら返していくやつ。」


紋吉「あっ。そういうのあるんだ。先生に聞いてみようかな。」


母親「・・・・ふふふっ」










とにかく母親は嬉しそうだった。


そりゃそうだ。元々は『良い大学に入る為』に息子を進学校へ強引に行かせたのだから。


でも進学校に入った途端に息子は落ちぶれた人間になった・・・。


もう息子に期待するのは止めよう・・・そんな時に落ちぶれ息子が「大学に行けそう」と言ってきた日にゃ・・・


そら嬉しいだろーな。


『大学のレベルとか授業料とかどうでもいい!もう【大学に行ってくれる】だけで嬉しい!』


って感じだったんだと思う。










翌日・・・


担任の先生に『奨学金』の説明を受けた。


俺はモノホンのバカだったので説明をよく理解しないまま


『まぁとりあえず金を貸してくれるってことだろ?ゆっくり返していいよってことね?オッケーオッケー』


メチャクチャ軽い気持ちだった。


数年後には【奨学金って名前は一丁前だけど、奨学金という名の『ただの借金』じゃねぇか!!!】と気付くのだが


当時の俺は


『よし!奨学金のおかげで授業料高額問題もクリア!』


とホッとしていた。(バカですね)









なんだかんだで


推薦入試を受けることが決定。


担任の先生からは『桜田みたいな人間を高校側から推薦するのはいかがなものか?』と数名の教師から反対の声が上がったというニヤニヤしてしまう情報を頂いた。(確かに俺が教師でも反対するし)


どう考えても『反対している教師の判断の方が正解』と当時から思っていた俺は


むしろ『なんで賛成派がいるんだよ』と不思議だった。


でも


反対が多かろーが少なかろーが推薦入試を受けていいなら迷わず受けますけど?の気持ちになっていた俺は


大学へ願書を提出した。











推薦入試当日・・・


担任の先生から電話で「頑張って!」と言われ


当時の彼女からはメールで「頑張って!」と言われ


母親からは玄関先で「頑張って!」と言われ


俺は『人から応援されたのって何年ぶりかな?』と少し照れながら試験会場へ向かった。(応援されても入試内容は面接だけなんだけどね)









んで


面接では持ち前の頭の回転を生かしペラペラと口から綺麗事だらけの言葉を並べ


少しでも面接官に良い印象を与えるようにニコニコし


途中で何故か『謎の説教』を面接官から喰らったが(説教というか「福祉の仕事に携わりたいなら気持ちをもっと~~」みたいなことを言われた)


面接が終わると『よし!終わった。良い印象を与えられた気がする。高確率で合格しているはずだ。』と自信満々で帰宅した。








一か月後に通知が届き・・・


予想通り『合格』した。


4月から大学生になることが決定した。


担任の先生も


彼女も


両親も


みんな喜んでいた。







俺は


『そうかぁ~。大学かぁ・・・。』


『大学生になってしまうのか・・・。』


『・・・・これでよかったのか?』


『でも・・・もうどうにもならんね。』





どこかモヤモヤしたまま


卒業までの時間をダラダラと過ごしていた。







こうやって


桜田紋吉(もちろん仮名)は大学生になった。
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(とりあえず人生の流れを書くって意味で書きました。いつか大学入学後も書かなきゃね。何のオチも無いブログだな)