こんにちは!桜田紋吉(もちろん仮名)でーす!ヨロシクのシクヨロ!
今日の『は?』なんでげすけどぉぉぉ
ここ数ヶ月ですね、あのぉー・・・
仕事が本当につまらないんですよ。
まぁ今の仕事がそもそも面白いと感じたことはゼロなんですが
もう病的につまらないんですよね。
仕事に行き詰まったとか、息苦しいとかじゃないんです。
とにかく・・・つまんねぇ。マジで。
自分の親よりも年上の同僚に囲まれているんで会話で笑うことも皆無ですし
仕事内容も誰でも出来る作業の繰り返しですからね。
でも正直、仕事内容はどうでもいいんですよ俺は。
ただ『笑顔』になりたいだけ。仕事をして笑ったり、仕事をしながら笑ったりしたいだけ。
もう驚くほど『つまらん』のよ。
ベタですが『これの為に1日の大半の時間を使ってんのかよ・・・何してんだよ俺は。少年時代の桜田紋吉(もちろん仮名)が今の俺を見ると自殺するんじゃね?死んだように生きるなら・・・もう死んでやる!みたいな。』と想像したりしてゾッとする時もあります。
しかし
プライベートでは子供が増えたり、保育園の行事に参加したりと充実しています。土日は楽しいですね。
俺の人生いっつもこのパターンです。
プライベートが良い調子の時は仕事がダメ。
仕事が良い感じの時はプライベートがダメ。
いつもこのどちらかです。
今の会社の前に勤めていた職場では
『パニック障害の疑いアリ』と精神科で診断されるほど職場で死んでいたんですが(あまりにも俺の様子が変だったから嫁に精神科を勧められたのさ)
その頃の俺は
プライベートでハワイ旅行に行ってスカイダイビングして「最高~!」とか言ってるわけですよ。
で帰国して
職場でまたパニックになって死んでる。みたいな。
・・・って、さすがにこの話は極論ですけどね!
でもこんな感じなんですよ、俺の人生。
というわけで今日の『は?』は
『は?仕事場に一人だけでいいから俺を笑わせてくれる楽しい人間がいたらなぁー・・・シマセンは部類が違うからなぁ。若い人が入社して来ないかなぁ。でも年寄り連中の誰かが辞めない限りは若い人も入れられないだろうなぁ。もう年だからキツイ!って口癖のように言うのなら辞めればいいのにぁ』の『は?』でした。(なげぇよ)
では本題に・・・
先日のブログで俺が大学に入学するまでを書きました。
このブログです↓
こうやって俺は大学生になった。 - 振り返ればオアシス!
で!
今回は『大学入学後の俺』を書いちゃおうか!
どうせいつか書く予定だったから書くか!大して面白くないけど書くか!
ではスタート。
モヤモヤしたまま大学に進路を決め、3月までダラダラと過ごした桜田紋吉(もちろん仮名)は・・・
4月、ついに大学生になった。
もちろん希望していた一人暮らしを開始。(親には大学合格した時に「4月からは一人暮らしする宣言」を表明済み)
俺の記憶が正しければ・・・
大学の入学式が行われる一週間前に一人暮らしをスタートさせた。はず。
入学式までの間
彼女が泊まりに来たり・・・
幼なじみが泊まりに来たり・・・
さっそくエッチな物を一人でコソコソとレンタルして見たり・・・
うん。はっきり言うわ。
めっっっっっちゃ楽しかった。その一週間。
ただ・・・誤算だったのは・・・
実家から車で一時間も掛からない場所で一人暮らしをスタートしてたってこと。
今思うと最高にバカだなって感じだが
高校生の頃まで『乗り物=チャリンコ』だったので
『チャリンコで行けない距離=恐ろしく遠い場所』の発想だった。
だから
大学へ推薦入試を受けに【電車】で行ったもんだから(電車=遥か彼方へ行く乗り物)
『俺は実家からかなり離れた場所で一人暮らしをスタートさせたぜ!』
と当初は勘違いしていた。(つまりバカってこと)
泊まりに来た彼女や幼なじみが
「地元から近くね?」と同じ内容の発言をしたことから発覚した。(ほんとバカですね)
よって
一人暮らしをスタートして3ヶ月ぐらいでウチの親父が
「おまえさぁ・・・こんなに近いんなら俺が乗っている車を渡すから実家から通ったら?もったいねぇよ金が。」
と意見した。俺は・・・
「えっ!?車が貰えるわけ?だったら通っちゃうよ!もちろんでしょ!」
とあっさり一人暮らしを止めた。
ちなみに譲り受けた車は15年落ちの20万キロを越えたマニュアル車だった。色んな意味で『すんごい車』だった。
・・・っていうか
「おまえの一人暮らし事情はどうでもいいよ!大学での様子は!?そこがメインだろーが!」
と思った方・・・
分かってますがな。ちゃんと分かってますがな。
この『一人暮らしを止めて実家から通いになった』ってことが
後々、効いてくるから。焦んなよ。
さて・・・
かなり話を戻すが・・・
えっとー・・・入学式までの一週間が驚くほど楽しかったって言ったっけ?言ったよな?
オッケーオッケー。
・・・・で
入学式を迎えた。
母親も父親も俺が大学生になったのが
かなり嬉しかったのか二人とも入学式にやってきた。
親父に至ってはメッチャ写真撮ってた。
母親はニコニコしていた。
そん時に確かに思ったね。確実に俺は思ったね。
忘れもしない。俺は思ったね。
『大学では頑張ろう』ってね。
春の陽気もあって『俺・・・頑張れる気がする!』って思っちゃったんだよね。
珍しく思っちゃったよね。
で
さっそく次の日から大学の授業がスタート!
で
びっくりしたよね。
まっっっっっったく授業が理解不能!!!(高校入学時と同じこと言ってる)
このガツンと理解不能な感じ!懐かしい!完全なる意味不明!!!
高校入学時を思い出すね!コレだよコレ!!
・・・と言いたいところだけども
高校とはレベルが違う!まさにレベチ!とんでもないレベチだ!
しかも大学の授業は一時限が90分!!!
マジで90分なのよね・・・
ドラゴンボール3話分ってこと。3話ってゆーか、3週分か?(説明不要だろうけどアニメの方ね)
とにかく・・・なげぇんだ!!!
オラ驚いちまったゾ!!!(ドラゴンボールを例えに出したから一応ね)
しかし俺は動揺しない。(ある意味プロよ)
大学の英語の授業で皆がSunday(日曜)からSaturday(土曜)までのスペルを当たり前のようにスラスラと書いていたが
俺は当然のようにTuesday(火曜)の段階でスペルをミスっていた。
しかし俺は動揺しない。
・・・だって、そりゃそうでしょ。
高校時代のテストはカンニングでパスしてきたんだぜ?
中3から学力向上してないんだぜ?
中3が大学の授業に参加してんだから理解不能に決まってるよね!そもそも興味もないんだから!
しかも
俺が動揺しない理由はそれだけではない。
風の噂でしっかりと聞いたのだ。
『授業が理解不能でも単位はゲット可能』・・・ってね。
・・・・いやいやいやいや!またカンニングするわけじゃないから!!!さすがに大学のあの雰囲気でカンニングはきつい。ムリムリ。
意外と大学には
『授業に出席さえしとけば単位もらえる』とか
『試験の時には教科書を見ながらでオッケー』とかの
バカに優しいやつが待っているって知ってたからね。
・・・・というわけで
1ミリも1秒も何も理解していなかったが・・・
大学に通った。
途中から実家からの通学になったが・・・
大学に通った。
実家近くのコンビニでアルバイトを始めて大学行くのが面倒になったが・・・
大学に通った。
実家からの通いだったもんで地元の友達とばっかり遊んでいたが・・・
大学に通った。
彼女も地元にいたけども・・・
大学に通った。
で気付けば
大学2年生になっていた。
何も理解していないのに大学2年生になっていたのだ。
大学には色んなタイプの人間がいた。
俺と同じで
理解もしてないし、興味もねぇよ。・・・という人間も珍しくはない。
だが
そんなタイプの人間は
大学をさっさと辞めていた。
もちろんダラダラと卒業まで居座る人間も存在するだろうが
俺の周りの『桜田タイプの人間』は
さっさと中退していた。
一人辞め・・・二人辞め・・・
そこで俺は思い始める。
『あれ?俺は?』
『俺みたいな人間が残ってんの変だよな?』
『居ていいのか?』
『どんどん大学に居づらくなるんじゃね?』
・・・今思えば『おまえが大学に居ても居なくても誰も気にしてねぇよ!』と大声で言えるが
当時の俺は
『・・・やっぱ違うよね?俺は違うよね?』
という気持ちで頭がいっぱいになっていた。
かなり矛盾している。
自分でも分かってはいた。
『やりたいこと無し。だから何でもいいよ。』
の感じで生きてたくせに
『・・・ここは違う。違うよね?』
という気持ちが自分に出るのは変だと思うし矛盾している。
何故こんな矛盾が生まれたのか?
自分なりに今、考えてみた。
オッサンになった今だからこそ考えて出た結果だが
『周りの人が俺にはキラキラと眩しく見えていた』
↑これが苦しかったのかもしれない。
夢に向かって頑張っている人や毎日イキイキと楽しく過ごしている人に対しての
『俺には夢も無いし、この日々が楽しいとも感じてはいない』
という【嫉妬】や【羨ましさ】が
俺の【陰の部分】を大きくさせていたと思う。
光を見せつけられると(さすがに周りの全員が光っていたわけじゃないけど)
どうしても俺は陰に隠れてしまう心の持ち主でありネガティブな方へと意識が飛ぶ。
で
そっと逃げるように
段々と
大学に通わなくなる。
地元の友達と遊び
地元の彼女と遊び
地元のコンビニでバイトして
でも心はどっか暗いまま
『結局、地元にダラダラといるバカな若者の一人なんだな俺も』
と人生の何かを諦めたような時間を過ごしていた。
そんな時に家で親父に呼ばれた。
親父「おまえ、大学行ってないだろ?」
紋吉「・・・行ってない。」
親父「もう行かないのか?」
紋吉「行かない。もう授業料は払わんでいいよ。行かんから。」
親父「これからどうするか考えてんのか?」
紋吉「まだ考えてない。」
親父「・・・・そうか。」
妙に冷静な親父が俺には辛かった。
母親は隣の部屋で俺と親父の会話を聞いていた。
入学式の時の嬉しそうな両親の顔がチラチラと浮かんでは俺の心を突き刺す。
もちろん俺以上に親がダメージを受けているのは分かっていた。
両親は『ガッカリした』と『やっぱりダメだったか』の両方の気持ちが混合したような表情をしていた。
両親に『大学もう行かない宣言』をした俺だったが
そもそも『最近は大学に行ってない状態』だったので
次の日からも普通の日常が繰り返される。(大学行かなくなってからの日常のパターンね)
遊んで
バイトして
遊んで
バイトして
・・・の繰り返し。超ぬるま湯の生活。しかも実家暮らしっていう。
『どうせだったら今しか出来ないことやっとくかな』
と一丁前に考えて思い付いたのが
【バイクの免許を取得する】だった。
正直に言うと
当時連載されていた漫画の中で主人公がバイクの免許を取りに行く場面があったから
『いいなぁー。俺も取ろうかなー。バイト代も貯まってきてるし。』
って感化されただけ。THE 単純。
さっそく
バイク免許が取れる自動車学校のパンフレットを取り寄せて家で読んでいた。
『こんぐらいの料金なら貯めたバイト代でイケるな!』
とテンションが上がっていたら
パンフレットを読んでいる俺に親父が話し掛けてきた。
親父「なんだ?自動車学校か?」
紋吉「そうそう。バイクの免許取ろうかなって思って。」
親父「へぇ・・・。」
紋吉「・・・・。」
親父「・・・・。」
数秒間の沈黙後・・・
親父「おまえ、そんなことしている場合か?」
紋吉「・・・・。」
俺は悟った。
肌で感じた。
親父の冷静だけど少しキレているような言い方で察した。
【もう実家は出なきゃマズイ】と。
定職には就いていないし学生でもない俺。
そんな俺を両親が日頃から冷たい視線で見ているのは気付いていた。完全に分かっていた。
しかし
俺は俺で『まだもう少し考える時間ほしい』と思っていたし
両親に対しても『俺が生まれて15年はアンタらの指示通りに動きまくったから少しはダラダラと過ごしていいだろ?』と何故か上から目線で強気に接していたので
『まだダラダラしていてよくね?』
の感じで過ごしていたが・・・
さすがに察した。
親父の言葉で察した。
『いよいよ実家にも居れないぞコレ』と。
俺はバイクの免許を諦めた。
親父の言葉も正解だと思ったし。(意外と素直な俺)
ぬるま湯にずっと浸かっていて良い方向に行けるわけがない。
そろそろ動かないと。
さて、どうしようか?
何故か『ちゃんと定職に就いて働こう』という気には全くならなかった。
一回でも『定職に就いて働く』というスタートを切ってしまったら
もう戻れない気がしたから。
定職に就くと
ずっとそのコースから出れない気がして
正直、怖かったのだ。
もっともっと迷って
迷いまくった挙げ句に『もう真面目に働くしかねぇな』となって定職に就くのが当時の俺の理想だった。
しかし
もう実家は出ないとダメだ。
でも
まだ迷いたい。
そんな時に
気になる話を聞いた。
俺の幼なじみの仲間の一人が
勤めていた近所の会社を辞めて
最近、東京で暮らし始めたらしい。と。
『へぇー・・・あいつが東京かぁ。』
『東京ねぇー・・。』
『・・・・東京ね。なるほど。』
心がざわついた。
とりあえず幼なじみに電話してみよう。
電話する前から『東京だな』と
答えは見つかっていた・・・気がする。
(正直に言おう。俺は後悔している。あん時にバイク免許取得しとくべきだった!くそっ!ってか、続きの【東京編】はそのうち書きます。毎回毎回、自分の人生を振り返るブログは書きたくねぇから。バカみたいなブログを基本的には書きたいのよ)