振り返ればオアシス!

桜田紋吉(もちろん仮名)です。特に何のテーマも無いブログ《ノンポリブログ》です。過去のエピソードを書く時は事実を元にして右往左往しながら書いているので100%ノンフィクションかと言われたら胸を張って「知らん!」と答えるつもりです。

勘違いされてた俺と優しさをくれたアイツ

こんにちは!最近、体調があまり優れません・・・。そんな桜田紋吉(もちろん仮名)です。まいったね。

 

 

 

 

これが前回のブログじゃい↓

親に学校関連の話を一切しなくなってしまった為に起きた弊害 - 振り返ればオアシス!

 

 

 

 

 

 

「バレーボールシューズ事件」後、親に学校関連の話を一切しなくった俺は困っていた。

 

部活(バレーボール部)で使用する用具が買えないからだ。

 

中学生なので親から金銭を支援されない限り買えない・・。これが学生の辛いところでもある。

 

特に俺が部活をやっていて「マジでコレ必要なんですけど」と思ったのが・・

 

「サポーター」と「長袖の練習着」である。この2つはマストだ・・。マストな理由は前回書いたから見てみ!

 

しかし俺は「買ってくれ!」の言葉を親に言えなかった。

 

「まだ部活に熱心なの?勉強の方に力入れなさい!」・・と怒鳴られる可能性が高いからだ。

 

 

 

 

だから俺は・・・

 

仕方なく(本当に仕方なかったんだよ)

 

「体育の授業の延長」みたいな格好で部活動を続けていた・・!

 

 

 

 

みんなは長袖の練習着を着ていた。

 

その練習着の胸には「asics」や「MIZUNO」の文字が輝いていた・・。眩しかった・・。

 

 

 

なのに・・俺は・・俺ってやつは・・

 

冬だろーが夏だろーが体育の授業で着る「学校指定の体育服」を着ていた・・。もちろん半袖だ・・。春夏秋冬で着ていた。胸には「◯◯中学」と印字されているクソみたいな体育服だ。

 

しかも!毎日、その体育服を洗濯してはいたが、二枚しか持っていなかったので一年生の途中からは黄ばんでいた・・。もちろん二枚とも黄ばんでいた・・。俺の汗の量に体育服が追いつけずにいた・・。ちくしょう・・。

 

 

そして、もちろんのこと・・

 

 

 

 

みんなサポーターを装備していた・・。そしてガンガン床に飛び込んでいた。だって肘・膝はガッチリ守られてるからね!安心だよ。

 

当の俺は・・ガンガン床に飛び込んでいた!そりゃ痛いよ!!両肘・両膝が青アザだらけだよ!!!でも少しでも躊躇したら、顧問の先生から「飛び込めコラー!!ダイブしろー!!」っていう容赦ない怒号が鳴るんだよ!!!今の時代だったら、あり得ないと思うけどね・・。当時は根性さえ出せば、すべてを乗り越えられる!みたいな考えがまだ少し残ってた時代でした。

 

 

 

 

 

 

 

・・・・このように俺は部活動の時は1人だけ、みすぼらしい姿で参加していた。

 

「黄ばんだ体育服」「青アザだらけの腕と足」そして「ガリガリの体」である。

 

 

 

 

もはや

 

 

「体育の授業の延長」みたいな格好というよりも・・

 

 

 

 

 

 

 

三丁目の夕日」のエキストラ状態だった。

 

 

 

平成ど真ん中の時代に、昭和からタイムスリップしてきたような出で立ち・・。メンコでも持たせりゃ完全に「三丁目の夕日」だったはずだ。

 

 

しかも!

 

 

 

部活動以外の時間は「中古品」に囲まれている俺・・。(前回のブログ参照)

 

 

 

 

 

 

ついに・・

 

恐れていた事態が起こる・・

 

 

 

 

 

 

 

とある日曜日・・

 

その日はバレーボールの練習試合だった為、近隣の中学校へ出向いていた俺達。

 

昼時になり

 

バレー部の仲間達がコンビニへ昼飯を買いに行こうとしていた。

 

しかし俺は・・

 

母親から「コンビニ弁当禁止令」を言われていた為に家から弁当を持参していた・・。

 

 

 

 

 

 

 

いま、サラッと伝えたが・・

 

 

「コンビニ弁当禁止令」ってなんだよ!って疑問があると思われるので説明しよう!!

 

※母親曰く「コンビニ弁当は栄養が偏っているから私が作った弁当を食べなさい!」とのこと。ちなみに、土日祝日は俺だけ弁当持参していた。俺だけ。弁当食べてる姿をイジられたくなかったので仲間達がコンビニに行っている間に、誰にも見つからないような場所で急いで食べていた・・。それと、仲間達がポカリやアクエリを持参して飲んでいる時に俺は・・母親特製の麦茶が入った水筒を持参していた。。。ってか、泣いていいですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻します!

 

 

 

 

 

昼飯時になり、仲間達が続々とコンビニに行こうとしていた・・。

 

俺はもちろん弁当(母親特製の麦茶付き)持参だ。こっそりと1人で弁当を持ち、皆から逃げるように移動しようとしていた・・。

 

すると

 

バレー部の仲間「宮川くん(もちろん仮名)」がそんな俺を見て一言呟いた・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

「紋吉の家ってさぁー・・ほんっっと貧乏なんだなぁ・・・・。」←しみじみと彼は言った。

 

 

 

「えっ!?」

 

あまりにも真顔でしみじみと言われたので俺は驚いた・・!

 

 

そして宮川くんは焦った様子で・・

 

「うっ・・ウソウソウソ!!テキトーに言っただけだから!!きっ・・気にすんなよ!!ほんとウソだから!!!」

 

とバリバリ動揺しながら謎のフォローをしてきた。そしてコンビニへ走って行った。

 

 

 

多分、宮川くんは言うつもりはなかったのだろう・・。心の中で呟いたつもりが、口から出てたパターンだろう・・。

 

 

大丈夫!俺は傷ついていない。

 

 

というか

 

 

「やっぱそう見えるよね?」って感じだ!

 

 

 

 

 

そりゃそうだよな・・。

 

「中古品」に囲まれている「三丁目の夕日」だぜ?

 

そう思われても仕方ないよ・・。

 

「ほんっっと貧乏」って言われるってことは昨日今日で貧乏だと思われたワケではないな!結構前から貧乏だと思われてたなコリャ!!

 

ずっと前からコイツ貧乏じゃね?って思ってたけど・・やっぱ貧乏だコイツ!みたいな再確認だよね。分かるよ。仕方ねぇよ。

 

 

 

いやー・・

 

 

 

 

 

切ねぇー・・

 

切なすぎるよー・・

 

母親の教育方針のせいで、貧乏な家庭じゃないのに貧乏だと思われているのが切ない。

 

陰で「アイツん家は貧乏だぜ」って言われてたと思うと・・切ない。

 

いやぁー・・思われても仕方なかったからさ・・。うん。仕方なかった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つーか、なんだこの思い出・・。

 

切ないし・・

 

恥ずかしい感じもあるし・・

 

なんなんだよ!この思い出は!!!

 

謎な思い出じゃねぇーか!!!

 

 

 

 

なんでコレをブログに書こうとしたんだよ俺は!!!迷走かよ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに

 

この「ほんっっと貧乏」って言われた数日後に・・

 

部活が終わった後、バレー部員数名(この中に俺と宮川くんもいた)でコンビニに行った。

 

コンビニに入った途端に宮川くんが・・

 

 

 

 

 

「おい!紋吉!このパン大きいけど安いんだぜ!!しかも旨いよ!」

「この紙パックのジュースは1リットルも入ってんのに100円だぜ!!」

「もし金足りないなら貸そうか?」←心配そうな表情で・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼はゴリゴリに変な優しさを俺にぶつけてきた。

 

特に「大きくて安い商品」のプレゼンに必死になっていた・・。

 

ここまできたら「貧乏イジリか?」とまで疑ってしまったのは・・

 

ここだけの話。

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、マジで今回のブログは意味不明だ。でも意外と気に入ってる。

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(このパンをプレゼンされた。)