振り返ればオアシス!

桜田紋吉(もちろん仮名)です。特に何のテーマも無いブログ《ノンポリブログ》です。過去のエピソードを書く時は事実を元にして右往左往しながら書いているので100%ノンフィクションかと言われたら胸を張って「知らん!」と答えるつもりです。

気付いたら「痛い(イタい)人」になってました。

はい!こんにちは!桜田紋吉(もちろん仮名)です!よろしくお願いいたします!

 

 

 

 

いきなりですが・・・

 

 

生活していると「イラッ」とする会話に巻き込まれることがありますよね。

 

この「イラッ」とするかしないかのボーダーラインは個人差があると思います。

 

 

俺の場合はですね・・

 

 

 

 

 

「夏と冬どっちが好き?」って聞いてくる人がいたんですよね・・

 

 

どっちも嫌いじゃ!!!春か秋がベストだろーが!!!(もちろん心の声です)

 

 

 

 

 

こんな似たようなパターンもあります↓

 

「都会と田舎どっちが好き?」って聞いてくる人もいたんですよね・・

 

 

どっちも嫌いじゃ!!都会と田舎の真ん中ぐらいの街がベストだろーが!!(もちろん心の声です)

 

↑上記で俺が「イラッ」としているように思われますが、この段階では、実はまだ「イラッ」とはしてません。この段階ではね。

 

 

は?なんだ?その質問は?と思いながらも適当に「どっちかというと夏ですかね」とか「都会好きですよ」など無難な答えを返します。

 

 

 

無難な返答をしながら・・

 

「わざわざ・・くだらねぇ質問するってことは・・この後に用意しているであろう何かしらの話に繋げる為だよな・・少し付き合うか・・。」

 

と思い、会話に付き合います。

 

 

 

 

 

 

 

・・・が!!

 

会話に付き合っても何も出て来ない時の方が多いです。

 

 

 

 

 

 

そんな時はマジで心の中で・・

 

「なんじゃ!この会話は!!!会話の入口はくだらねぇ質問で中身に何かあんのかな?って思ったら・・くだらねぇ質問が入口&出口かい!!」

 

と叫んでます・・。心の中で。

 

完全に「イラッ」です。

 

 

 

 

 

 

 

やはり、俺の心が狭いのでしょうか・・?

 

 

それはもちろんあると思います。俺の生まれながらの性格の悪さと心の狭さは一級品だと自負しております。

 

しかし、性格の悪さと心の狭さだけで「何気ない会話の一部」にイライラするのでしょうか・・・?

 

ちなみに、少年時代なんかは「何気ない会話の一部」でイライラしたことは皆無でした。

 

 

 

 

 

 

記憶を辿っていくと・・

 

ある時期から・・・

 

「何気ない会話の一部」でイライラすることが増えていったように思えます。

 

その時期に俺がハマっていたアレがイライラしてしまう原因かもしれません・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2000年代前半の頃・・

 

俺は高校生だった・・。

 

 

 

クソみたいな高校生活にウンザリしていた俺はとにかく飢えていた・・!

 

毎日毎日、暗い表情で過ごしていた・・だからこそ!とにかく餓えていた・・!!

 

 

 

 

 

 

餓えていたんだ・・・・

 

 

 

 

 

 

 

「笑うこと」に!!!

 

 

 

 

 

「誰か!俺を笑わせてくれ!」

「俺はとにかく笑いたいんだ!」

「笑って毎日過ごしたいんだ!」

 

・・・・と強く願っていた。

 

 

 

 

 

しかし、接する人には心を全く開かず、自分で面白いことをやって楽しもうとするような努力も何も全くしない俺には「願うだけ」では暗い表情の日々からの脱却は出来なかった。

 

 

 

そこで・・

 

 

 

すんごい単純ですが・・

 

 

 

俺が考えたのは・・

 

 

 

 

 

 

 

「とにかくダウンタウンを見る」でした。
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(バカみたいな発想と行動でゴメンなさい)

 

 

 

 

 

「笑いたい」→「お笑い芸人さんに笑わせてもらおう」→「お笑い芸人の代表って?」→「やっぱダウンタウンじゃね!?」

 

 

・・・・というバカみたいな理論でダウンタウンを見る、見まくるということにしました。

 

当時の俺は、特にダウンタウンが大好きというわけではありませんでした。

 

しかし、当時からダウンタウンは明らかにお笑い芸人さんの中ではトップランナーでしたし、レンタルビデオ屋の「お笑いコーナー」ではダウンタウン関連のビデオが他の芸人さんの何倍も置いてあり、ダウンタウンを選択するのは自然の行為でした。

 

 

 

ここでダウンタウンを選択したのが良かったのか悪かったのかは分かりません。違う芸人さんを選択していたら違った結果になったと思います。

 

 

幼い頃から厳しい母親の躾(しつけ)のせいで「とんねるずダウンタウンクレヨンしんちゃん」関連のテレビ番組は禁止されていたので(謎にウッチャンナンチャンは禁止ではなかった)ダウンタウンをガッツリ意識して見るのは周りの同世代よりはかなり遅かったと思います。

 

 

 

その結果・・・

 

 

 

 

 

ゴリッゴリにハマりました。ダウンタウンに。いやマジで。(2000年代になってからダウンタウンにハマるって遅くね?) 

 

 

ダウンタウンのレギュラー番組はすべて録画してチェックし、もちろん松ちゃん・浜ちゃんが個人でやってる番組も録画。レンタルビデオ屋さんのダウンタウン関連のビデオはすべてレンタルし(学生で金ないから買えないのよ)、松ちゃん・浜ちゃん著書の本はすべてネットで探して読破(意外と浜ちゃんも何冊か出してんのよ)しました。後、松ちゃんのラジオも毎週録音で聴きまくってましたね。

 

ダウンタウンが売れる前の映像やラジオもネットで探して見ていた記憶があります。(この頃はYouTubeはまだなかったと思うので・・どうやって見たのだろうか?見た記憶は間違いなくあるのよね)

 

 

 

ダウンタウン漬けの日々のある日・・

 

ふと気付きます。

 

「動きやコントみたいな演劇的な笑いよりも、俺は【しゃべり】で取っている笑いが好きだな」

 

ってことに。

 

 

 

ソレに気付いてからは・・

 

まずダウンタウンの若い頃にやっていた漫才のテープをリピートで見まくります。

 

次にガキ使のフリートークをリピートで見まくります。

 

 

 

そして・・・

 

 

ダウンタウンの二人が話している言葉をすべてノートに書いていきます。(ここまできたらもう変態だな)漫才もフリートークもすべて書き出します。

 

 

 

・・・で、また気付きます。

 

 

「二人の言葉には無駄が一切ない」ということを。

 

すべての言葉がゴール(オチ)に向かう為の言葉であり「あぁ・・すげぇ・・」ってなります。感心して感動みたいになります。

 

 

 

 

「しゃべりで笑わせる」ということに魅了された俺は・・

 

 

 

もうダウンタウンだけでは止められませんでした。

 

人気コンビの漫才やフリートーク、昔のコンビの白黒映像の漫才まで見て・・聴いて・・大忙しでした。

 

 

 

ついでに「お笑いの歴史」にまで興味が沸いてしまって・・

 

 

 

 

「昭和◯年に◯◯という人物が◯◯というネタで一世風靡する」

 

とか

 

「平成◯◯年に◯◯というコンビが◯◯のフレーズで人気者に」

 

などの

 

「日本のお笑い歴史年表」を独自でノートに書いて記録してしまう変態になっていました。※もちろん年表に書く人物やコンビのネタを1回でも見ることが礼儀だと思って見ていました。

 

 

 

 

 

 

で!!!

 

 

 

独自に歴史を探っていると・・

 

最終的に・・

 

「やっぱり俺はコレが好きなんだよな。やっぱりな。なーんか昔から俺がハマりそうだと思ってたんだよな。やっぱりハマってしまいましたよ」

 

 

 

・・・と【ある伝統芸能】に出会います。

 

 

 

 

 

ダウンタウンをノートに書き出していた時ぐらいから「俺はアレにもハマりそうな気がする」とは思っていましたが・・

 

 

まんまとハマりましたよ・・

 

 

 

 

 

 

 

 

「落語」に!!!

 

 

俺の祖父が聴いていたので「なんとなく」は知っていましたが・・・

 

 

変にお笑いの歴史を学んだ気になっていた直後だったので余計にハマりました。

 

 

 

「奥深さ」「歴史」「技術」すべてが詰め合わせてある芸能・・・

 

【落語】に。

 

 

 

 

それこそダウンタウンと同等、もしくはそれ以上にハマりまして・・・

 

志ん生から志の輔まで聴きまくりました。

 

 

 

 

ブログで落語の魅力を語っても仕方ないのでしませんが(いつか語りてぇ)

 

 

とにかく落語は最高です。(もちろんダウンタウンも)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・ただ!!!

 

 

 

 

落語にハマるとダメ!!!

 

特に俺みたいな独自の変態的な入り方でハマるとダメ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

バカなことに

 

「俺は話術にはうるさいよ。分かってるからね俺は!」みたいな、ニセ評論家風味になってしまいます。。。

 

 

完全に【痛い(イタい)人】です。

 

もちろん、その「痛さ(イタさ)」は外には出しません。出したらアウトですから。

 

 

 

 

でも・・・

 

 

落語にハマってからは

 

気になって気になって仕方がないんです。

 

 

 

 

 

 

 

人々の会話が!!!

 

 

 

「そこ強弱つけて話すともっと面白いのに」

「その言葉2回言う必要なくね」

「入口で噛むなんてダメだな」

「コイツ倒置法ばっかだな」

 

 

 

 

↑上記のように【イラッ】ってするポイントがさ・・

 

もうキリないんだよ!!!

 

 

痛い(イタい)のは分かってるけど・・

 

十分に分かっているけど!

 

 

 

なんかゴメン!気になんのよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

・・と

 

いうわけで・・

 

落語と引き換えに【痛い(イタい)人】になってしまったということに気付きました。

 

 

 

 

 

ダウンタウンから始まってしまった

 

独学の「お笑いの歴史の勉強」は

 

落語を通して・・

 

俺を【痛い(イタい)人】に仕上げてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何が一番「痛い(イタい)」ってさ・・

 

 

 

「人の会話にイライラする!それは俺が勉強したから!」って言ってるくせに・・

 

 

 

 

 

 

 

俺のしゃべりは面白くないんだよね・・・。

 

 

痛すぎだよね。
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(↑志の輔師匠。いつか見に行くつもり。今が最高の落語家さんだからパワーダウンする前に行かなきゃ!・・・ってか今回のブログは内容が散らかっている。駄作か?)