振り返ればオアシス!

桜田紋吉(もちろん仮名)です。特に何のテーマも無いブログ《ノンポリブログ》です。過去のエピソードを書く時は事実を元にして右往左往しながら書いているので100%ノンフィクションかと言われたら胸を張って「知らん!」と答えるつもりです。

永野に夢中になったら自分の人生は罰ゲームだと気付いた。

こんにちは。桜田紋吉(もちろん仮名)は俺です。とりあえず書いてます。



最近の口癖は『俺の人生ずっと夜明け前』です。明けない夜はないって言葉を最初に言った奴に言いたい。本当か?と。




本日の『は?』なんですがぁぁぁ


過去のブログで『芸人の永野』を俺は大好きだと熱弁しました。


コレね→ラッセンより普通に永野が好き - 振り返ればオアシス!


それから今日まで


可能な限り『永野』を追い掛けてきました。出演するテレビやラジオそしてユーチューブを主に。


それで再確認したんですが


やっぱり『永野』が大好きです俺。


クワバタオハラがおったらソコはもう大阪や』も絶品のネタでしたが


『喉にモチを詰まらせた新沼謙治』はマジで絶品中の絶品!こっちが呼吸困難になるかと思うぐらい笑いました。


あまりにも『永野』が好きなので


『なんで永野をこんなにも好きなんだろうか?』


と自己分析してみたんですが


俺って似ているんですよね。永野と。


・・・いや、もちろん永野みたいに面白いネタなんか考えれないし


誰かを大爆笑させるセンスも俺にはない。そこはちゃんと分かってます。


・・・が


ラジオでの発言を聴いたり


インタビュー記事を読んだりすると


永野の『ひねくれまくった発言』が俺の心を刺すんですよ。


マジで泣きそうになるんですよね。(良い意味で)


『俺以外に俺と同じ感覚の人がいたんだ!』って共感と感動と安心感が俺を包みます。







つい先日も伊集院光のラジオ番組にゲスト出演していましたが


そこでの発言も最高でした。


40歳を過ぎてから芸人としてブレークをした永野は


同世代の知人達から『その年齢までよく諦めずに頑張ったな!勇気を貰った!』と褒め称えられることがあるそうで


その度に永野はイラッとすると言ってました。


その理由が


『お前たちは俺が孤独な時に家族を作ったりマイホームを建てたりしてきたくせに・・・別にお前たちの為に頑張ったわけじゃねぇよ。』


という想いが溢れるとのこと。





この感じ・・・


そのまんま俺です。桜田紋吉(もちろん仮名)も同じ思考を持たせていただいております。


『褒めてくれている人すら疑う』って感覚が抜群に痺れました。似すぎてて。







ただ・・・


永野の話を聞いてて思うんですが


永野は性格と思考が歪んでいるせいで


生き辛そうです。不器用というか・・・嘘をつけないというか・・・何というか・・・


『この人・・・もし芸人じゃなくて一般人だったら生き地獄を味わいながら生活するんだろうな』と思わずにはいられません。


永野に対して上から目線で申し訳ないのですが


『本当に永野は芸人になってよかった』


と心から思うのです。


あの思考の歪みを『笑い』という武器に変えれるのって最高だし、一回ファンになった人は絶対に離れられないだろうし。


実際・・・


俳優の斎藤工は永野に心を惹かれすぎて


1人で永野の単独ライブをこっそり見に行き、ますます虜になり


永野の頭の中を映像化したいと思うようになり


去年、永野が原作で斎藤工が主役&プロデューサーとして映画『MANRIKI』を制作しています。(韓国で賞を獲得したらしい)


ほんっっっと永野は芸人になって良かったな!と何回も言っちゃいますが


何故か親のように思うのです。


『良かったね。永野。』ってね。(一般人からこんな風に思われているのを永野は強烈に嫌うだろうが)








永野を見ていて・・・


『性格や思考の【歪み】ってブレずに表現し続ければ味方が出来るんだ』


って俺が思えたのも嬉しいというか


ソコは少し泣けるんですよね。俺にとっては。


今の俺にとって永野はちょっとしたヒーローなんですよ。


ヒーロー・・・・いや、もはや


『憧れ』でもあるんですよね。







というのも


桜田紋吉(もちろん仮名)も今年で35歳。


ずっと『生き辛さ』を感じて生きてきました。もちろん今でも。


子供の頃からずっと。


何がどう『生き辛い』のかを一個ずつ書いても仕方ないので書きませんが


とにかく


俺という人間は疲れる。桜田紋吉(もちろん仮名)は本当に生きているだけで疲れるのだ。


もう嫌になってくる。







だからこそ


永野がメディアに出て声を大にして


歪んだ思考を叫んでいる姿を見たり聴いたりすると心を掴まれてしまう。


本人にそんな意図は無いのかもしれないが俺は救ってもらっているのだ。









しかし・・・


当たり前だが俺は永野ではない。


永野にもなれない。


強いて言うなら


『芸人にならずに一般人の道を選んでしまった方の永野』


・・・が俺だ。


『この人・・・一般人だったら生き地獄を味わいながら生活するんだろうな』の方が俺なのだ。


そう思うと絶望しかない。








この際・・・


記録として書く。










ここ数ヶ月


俺は真っ暗なトンネルをずっと歩いているような精神状態だ。


子供の頃から


この世界で『生きる』という行為が妙に窮屈で、生き辛く、違和感ばかりを感じてきた。


『俺には障害があるのか?発達障害なのか?』とも考えた時期もあったが


『障害があろうが無かろうが結果がどうあれ生活はしていかなきゃならない』ので


なんとなく生きてきた。


生きたいから生きたわけではなく、死なないから生きてきた。


『こんな俺も個性だろ』と割り切って生きてきた。


『俺はどこか浮いている気がする。周りよりも違和感のある人間のような気がしてならない。・・・これは大人になったら良い方に転がっていくのかも?人とは違った風景を見ながら生きていけるレアな人間かも。』


と少しだけ自分を良い意味で『特別な人間』かもしれないと


妙な期待を所持していた時期もあった。


でも


もう『35歳』だ。








いつの間にか『妙な期待』から


ジワジワと『確かな絶望』に変化している。


将来を期待するような年齢ではなくなってきた。


今がその『将来』なのだから。







『やりたいこと』『挑戦したいこと』を1度も見つけることもなく


『こういう仕事がしたい』『こういう人間になりたい』という願望もなく


何かに夢中になって過ごした時間もなく


ただただ


生きているだけだ。死なないだけだ。







結婚したら生活リズムは変わるだろうが俺の心の中にも変化があるかな?楽しみだな。


と思っていたが・・・変化なし。


子供が産まれたら価値観や人生観も変化するに違いない!


と思っていたが・・・変化なし。


転職しても、引っ越しても、子供が増えても


とにかく変化なし。






もう


どこへ行っても、何をしても


しっかりと『俺』なのだ。


『俺』はずっと『俺』なのだ。







やはり【俺】はキツい。


『俺は個性的だ!』と思って気分が上がるのも10代まで。


社会に出ると『個性』なんて必要とされない。


ガキの頃に道徳の授業で習った『みんな違って、みんないい』という有名な言葉も必要とされていない。


『周りと足並みを揃える人』『みんなと同じ人』こそが正義とされる。








俺は毎日


自分を押し殺しながら


『みんなと同じですよ』という嘘まみれの自分を演じて生きている。


俺は自分を表現できる仕事には残念ながら就いていない。


というか、一般社会には『表現する仕事』は存在しない。


そもそも一般社会に『個人の表現』なんて一切いらないのだ。







家では


嫁の前で『夫』を演じ・・・


子供の前で『パパ』を演じ・・・







職場では


何度か話したように60代に囲まれているので


価値観は合わない、話も合わない、相談も愚痴も言えない環境と同僚・・・


俺は孤独にじっと耐え・・・


それでも『当たり障りのない人間』を演じている。









もう俺には転職しようという気持ちすら無い。


どこに転職しても『今と同じ気持ち』になるのは確実だから。


どこへ行っても『俺』なんだから。







成功も失敗も何もない、誰がやっても同じ結果になる作業をやるのが俺の職場での仕事だ。


気は楽だし作業内容に悩むこともない。


自分の殻に籠って夕方まで時間が過ぎることのみを考えるような毎日。


『これをやる為に今まで生きてきたのか?』


『これを残り数十年もやるのか?』


『結局、俺は何者にもなれなかったな。』


『この憂鬱こそ平和なのか?』







喜びも悲しみも一切ない『無』という仕事環境が俺をどんどん追い込んでいく。







道を外して生きてきたつもりはないが


長い真っ暗のトンネルに入ったのは何故だろう?


どこで間違えたのだろうか?









【なんとなく生きてきた】からダメだったのか?


『とりあえずコッチ』『とりあえずアッチ』みたいな感じで生きてきたら


真っ暗のトンネルだった。








もう35歳。


1度でいいから、本当に人生で1度でいいから


『◯◯に夢中になったんでコッチの道を選んじゃいました!』という時期を過ごしてみたい。


無我夢中になってみたい。







バカみたいな話かもしれないが


『自分が好きなこと・興味が湧くモノを考える力』がほしい。考える力を。


いつまでも母親のせいにしたくはないが


子供の頃に『考える力』を奪われ過ぎた。


リアルに悲しい。






と恨んだところで









もう『35歳』だ。


何回も言うが『35歳』だ。


どこにも戻れないし、ゴールも見えない年齢だ。


誰かを恨んだところで何も変わらないのはとっくの昔に気付いてる。







もう今からの俺の人生は罰ゲーム。


何か悪いことをしたわけではないし、失敗したわけでもない。


でも『罰』なのだ。


『夢を持てなかった』『探せなかった』『時間だけを消費してきた』ことに対しての罰なのだ。








だから


また明日からも


自分を殺して生きていく。


嫌だけど。


罰だから。






もう、こうなったら


永野は『憧れ』ではない。


もう


『羨ましさ』しか感じない。








表現が許される環境って羨ましい。


そして


それが認められているって心から羨ましい。










あっ。永野の声が聞こえる。


「おまえは何の才能もないし何かを努力したわけでもないんだから、落ち込むの意味不明じゃね?今の姿になって当然じゃね?それなのに『羨ましい』ってバカじゃね?」










・・・・そのとおりだなぁ。


ちくしょう。言い返せねぇ。








でも・・・








意外と・・・


俺みたいな奴は多いんじゃないか?





そんな奴に聞いてみたい。


「とんでもなく虚しくなったりする時ない?」


「そんな時はどうしてる?」


「どうやって精神を保ってる?」


聞きたいことが多過ぎる。





なーんで


もう少し気楽に生きていくことが出来ないのだろうか。


本当に『俺』という人間は厄介で面倒だ。


一種のナルシストとも捉えることが出来るな。


結局、自分のことで頭いっぱい。


やだやだ。






というわけで


今回の『は?』は『は?もうね・・・色々とキテんのよ俺。』の『は?』


でした。


こんな日もあんだろ。

(すんません。今『ゾーン』に入ってます。)