振り返ればオアシス!

桜田紋吉(もちろん仮名)です。特に何のテーマも無いブログ《ノンポリブログ》です。過去のエピソードを書く時は事実を元にして右往左往しながら書いているので100%ノンフィクションかと言われたら胸を張って「知らん!」と答えるつもりです。

ありがとう、吉田拓郎。

こんにちは。桜田紋吉です。今日も読んでくれてサンキューです。

 

 

 

 

 

今日は感謝の言葉を書こうかと思う。

 

書くタイミングが今だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年、ニュース番組で

 

『韓国の平均賃金が日本の平均賃金を上回った』という報道が流れていた。

 

現時点で

 

韓国人の方が日本人より給料を貰っているとのこと。

 

つまり

 

すでに日本は経済大国ではないし

 

国際的地位も恐ろしく低下している。

 

20年前から平均賃金が全く変化していないのが日本だ。

 

ちなみにアメリカは20年前より平均賃金が2倍に上がっている。

 

現在、平均すると

 

アメリカ人は年間800万円弱の給料を貰い

 

日本人は年間400万円ほどの給料。

 

20年前はアメリカ人も日本人も給料は同じレベルだったのに。

 

もはや

 

日本は先進国と呼んでいいのか?って感じすらする。

 

つい最近まで

 

確実に韓国人よりは日本人の方が金持ってるだろ!と誰もが思っていたであろう。

 

実際は

 

その韓国人よりも我々の給料は安いのだ。

 

 

 

 

 

俺はブチギレている。

 

このニュースを知った時からブチギレているのだ。

 

 

 

 

 

俺は今までの人生で

 

50代後半から70代の何人もの年配者に

 

何回も聞かされてきた言葉がある。

 

 

 

 

 

『今の若い奴より俺達が若い頃の方が根性があって頑張っていた。』

『今の若い奴と違って毎日毎日、夜中まで働いた。』

『昔は良かった。今はダメだ。』

 

 

 

 

 

 

・・・はっきりと今、言わせてもらう。

 

 

 

 

 

 

 

『何を頑張ってきたんだ?』と。

 

こんな日本にしといて、何をやってきたのか教えてくれ。

 

マジで何をしていたんだ?

 

自慢気、得意気に『昔の俺達の世代は凄かった』とか言ってるよな?

 

飲み会が開催される度に言ってたよな?

 

偉そうに喋りやがってよ。

 

 

 

 

アメリカ人は日本人の倍の給料だぞ?

 

韓国人の給料より俺達の給料は安いんだぞ?

 

マジで今まで何してたんだ?

 

年収ランキングではアメリカが1位で

 

日本は25位ぐらいだぞ。

 

20年前は日本は4位だってよ。

 

銅メダルになりそうな奴が25位って。

 

何してたの?

 

韓国もニュージーランドも日本より給料高いんだよ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな日本にしちゃったアンタ達が

 

若い奴らに

 

偉そうに喋っていい権利ねぇだろ!!!

 

飲み会での偉そうな表情と口調は何だったんだよ!!!

 

こんな日本にしといて!!!

 

なんで若者の前で偉そうにしていられたんだよマジで!!!

 

 

 

 

 

全く結果を出してないくせに

 

偉そうにするだけして

 

 

「はい!世代交代!バトンタッチね!」

 

で済ませるのかよ!!!

 

こんなクソみたいなバトンほしくねぇ!!!

 

「ごめんなさい。こんな日本にしてしまいました。」

 

・・・の気持ちで過ごせよ!!!

 

結果が出せなかったのは仕方ないけど

 

偉そうにしてたのがムカつくんだよ!!!

 

野球選手でいうなら

 

『毎日、試合には出場してました!でもヒットもホームランも打ってません!それでも若い連中には偉そうに接します!』

 

って言ってるのと同じだから!!!!!

 

ブチギレさせんな俺を!!!!!!

 

 

 

 

 

 

ニュースを見てさ

 

そんな気分になったんだよ。。。

 

悲しいし、怒りも込み上げてきたし

 

切ない気持ちにもなったよ。。。

 

『今まで偉そうにしてきた年配者』にガチでムカついた。。。

 

 

 

 

 

 

でも

 

ふと思った。

 

 

 

 

 

 

 

この『偉そうにしてきた年配者』の年代って

 

吉田拓郎を聴いて大人になっていったんだよなぁ・・・と。

 

 

 

 

 

そう思うと

 

なぜか『じゃあ許してやるか』の気持ちに不思議となるのだ。

 

吉田拓郎を聴いて大人になった・・・というのは『当時の流行だったから』の一言では済まされない深さがあると思う。

 

もちろん

 

その世代なら誰しもが聴いていたわけなので『流行』ではある。

 

 

吉田拓郎という男は『音楽』を作っていただけではなく

 

『文化』を作っていた。

 

音楽界に

 

若者に

 

そして

 

日本という国に

 

新たな『文化』を築いた人物であり

 

今の『偉そうにしてきた年配者』が大人になっていく過程で通ってきた道なのだ。

 

 

 

 

もちろん

 

今年37歳の俺は

 

吉田拓郎の全盛期は知らない。

 

小学生〜中学生の頃に放送していた

 

LOVE LOVE あいしてる』という

 

テレビ番組の中で

 

KinKi Kids篠原ともえの横で

 

『寡黙に佇んでいたオジさん』という印象しか俺にはなかった。

 

俺と同世代の人は今も吉田拓郎については

 

そんな印象しかないと思う。

 

 

 

 

 

 

俺は運が良かった。

 

吉田拓郎の歌に心を動かされた瞬間があったのだ。

 

 

 

 

過去のブログでも書いたように

 

俺は東京で一人暮らしをしていた時期があった。

 

それまでは実家で暮らしており

 

一大決心して東京へ向かうことにした。

 

東京へ向かう前日・・・

 

たまたまテレビで『アナタを支えた歌は何ですか?』みたいな番組が放送されていた。

 

平日のセミがうるさい夏の真っ昼間だった。

 

聴いたことのない歌が流れてきた↓

 

 

 

 

朝日が昇るから起きるんじゃなくて

目覚めるときだから旅をする

教えられるものに別れを告げて

届かないものを身近に感じて

 

 

 

 

 

 

 

・・・ズドンと胸に刺さった。

 

明日から東京で暮らす俺に歌ってくれているかのようだった。

 

吉田拓郎

 

『人生を語らず』という歌だった。

 

 

 

 

 

今はまだまだ人生を語らず

目の前にもまだ道はなし

越えるものはすべて手探りの中で

見知らぬ旅人に夢よ多かれ

 

 

 

 

 

・・・俺は泣きそうだった。(泣けや)

 

 

 

 

吉田拓郎の怒鳴るような歌い方・・・

 

窓の外では大声で鳴いているセミ・・・

 

どこまでも広くて青い田舎の夏空・・・

 

明日から知らない都会で暮らす俺・・・

 

すべてが絶妙にマッチしていて

 

俺の心を揺さぶりまくった。

 

 

 

 

 

 

吉田拓郎・・・ただの寡黙なオヤジじゃなかったんだ。。。』

 

それから俺は吉田拓郎の曲を聴くようになっていった。

 

 

 

 

 

 

 

様々な吉田拓郎の歌を聴いて俺は思った。

 

曲が良すぎると。

 

歌詞が良すぎると。

 

『なぜ今まで全く知らなかったのだろう。吉田拓郎を。』

 

俺は恥じた。自分を恥じた。

 

 

 

 

すると自然に

 

吉田拓郎ってどんな人物なんだろう?』と興味が湧いてきた。

 

吉田拓郎に対して

 

うっすらと記憶にあるのは

 

やはり『【LOVE LOVE あいしてる】っていう番組でKinKi Kids篠原ともえの横に居たオジさん』ってことだけ。

 

ただ

 

その番組に登場するゲストが

 

「拓郎さんに緊張します」とか「拓郎さんを聴いて育ったんで」みたいな

 

吉田拓郎を『格が違う人物』として扱っていた雰囲気は覚えている。

 

特に明石家さんまがゲストで登場した時に

 

吉田拓郎さんは俺ら世代の神様」

「神様と普通に話しているKinKi Kidsが許せない」

 

と少し本気モードになっていたのは

 

『あの明石家さんまでも恐縮するんだぁ』と子供ながらに思った記憶がある。

 

 

 

 

 

 

調べてみた。

 

吉田拓郎はどうやって神様になったのかを。

 

 

 

 

 

 

 

吉田拓郎がデビューしたのは

 

1970年だ。

 

この頃の日本は『学生運動』がまだ続いていた。

 

学生運動』とは

 

今の若い人(俺ら世代もだけど)には理解し難いと思う。

 

権力や政治に歯向かう運動を学生がしてたってことなんだけども(運動って野球とかサッカーじゃないよ)

 

意味不明だろう。俺も経験してないし。

 

簡単に言うと

 

例えば

 

今の若者は

 

政治家や権力者みたいな

 

上の立場の人間に物申したい時には

 

不満や要望をツイッターやインスタグラムに書き込んで世に訴えたりするよね?(全員がそうじゃないけど)

 

でも当時の若者は・・・

 

 

 

 

 

 

暴動を起こしてた。大暴れで超過激よ。

 

しかも

 

徒党組んで団体で・・・。

 

火炎瓶投げたり

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武装して突入したり

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グレたヤンキーじゃなくて

 

真面目で頭が良い東大生なんかも

 

こんな感じなのよ↓

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いやぁー・・・信じらんねぇ。

 

不良な少年少女じゃなくて

 

真面目な奴らが真面目にブチギレて集団で火炎瓶とか投げてるの怖すぎだろ。

 

 

 

 

 

 

またまた信じられないのが

 

当時のフォークソングって『政治的な抗議を歌う曲』ばかりだったのよ。

 

今でこそ

 

『ゆず』がサヨナラバスは〜♪・・・とか

 

あいみょん』が麦わらの〜♪・・・とか

 

甘酸っぱい青春をフォークソングとして歌ってるけど

 

マジで当時は

 

反戦』『政治批判』『差別問題』『反原発

 

・・・みたいなフォークソングばっかりだったわけ。

 

むしろ

 

そんな歌をフォークソングと呼んでたのよ。

 

 

 

 

そんな時代の最中に

 

吉田拓郎がデビューする。

 

デビュー曲の『イメージの詩』の歌詞が当時の若者の心に刺さった。

 

 

 

 

古い船をいま動かせるのは

古い水夫じゃないだろう

なぜなら古い船も

新しい船のように新しい海へ出る

古い水夫は知っているのさ

新しい海のこわさを

 

 

 

 

 

この歌詞が

 

学生運動に熱中している若者に

 

『そうだ!そうだ!世代交代だ!』

 

と若者の気持ちを代弁していると

 

吉田拓郎は脚光を浴びることになる。

 

 

 

 

しかも

 

デビュー曲の『イメージの詩』は・・・

 

いや、吉田拓郎の曲ほとんどが

 

とにかく『字余り』なのだ。

 

聴いたことのある人は分かるだろうが

 

曲に対して歌詞がパンパンに詰め込まれている。

 

1つの音符に何個も文字を詰め込んでいる。

 

よって

 

曲の一つ一つが超個性的。

 

今、聴いても個性的なのだから当時のインパクトは凄かったであろう。

 

 

迫力満点の歌声。甘いマスク。長身。

 

若者の間での人気者になった。

 

 

 

 

 

吉田拓郎がデビューして2年後・・・

 

学生運動が下火になってきた。

 

あの有名な『あさま山荘事件』があったからだ。

 

あさま山荘事件』を最初から説明するのはダルいから分からない人はスルーしてくれ。

 

 

 

 

・・・サッと説明すると(するんかい)

 

学生運動の成れの果てが『あさま山荘事件』ってこと。(違ったらゴメン。俺の解釈!)

 

『大人に、国に、政治家に、権力者に異議申し立てる!!!』みたいな若者達が徒党を組んで

 

あさま山荘っていう建物に立てこもるのよ。

 

もちろん人質もいるんだけど

 

まさかの10日間も立てこもりすんの。

 

その様子がテレビで生中継されてたりして

 

視聴率が89.7%っていう天文学的数字になっちゃうほど

 

日本中が注目してたわけ。

 

 

 

 

こんな言い方をしていいのかムズいけど

 

あさま山荘で立てこもっている若者達を

 

テレビで見ていた若者達は

 

『事件を起こしている彼らはヒーローだ』って意識があったんじゃないかな。

 

やり方は暴れん坊だが

 

『彼らみたいな若者が日本を変えてくれる』って信じて生中継を見ていた気がする。

 

ただの立てこもり事件だったら

 

そこまで視聴率は上がらないはず。

 

日本中の老若男女ほぼすべてが見ていたってことは

 

見ていた世代によって思いが違ったからだと思う。

 

『また若者が悪さしてるわ』だけの気持ちだったら年配者のみが視聴するだろうし。

 

 

 

 

んで

 

10日間も警察とか国に反抗して

 

立てこもりしたけど

 

結局

 

その10日の間に犯人である彼らは

 

仲間同士で殺し合いに発展しちゃって

 

12人も殺しちゃうのよ。

 

仲間だったはずなのに。

 

 

 

 

 

その事実が『あさま山荘事件』の直後に報道されたことによって

 

学生運動に熱狂していた若者達は

 

『なんだよ。。。この国の若者って同じ気持ちで繫がっているんじゃなかったのかよ。。。』

『結局、仲間と思っていた若者同士でも仲間割れして何も変えられないじゃないか。。。』

 

・・・って熱が一気に冷めるわけ。

 

凄いスピードで学生運動は盛り上がりを無くし衰退していった。

 

 

 

 

学生運動が衰退し

 

何に夢中になればいいか分からない若者達。

 

社会に反抗して髪を伸ばして

 

体制に組み込まれるのを拒否することに喜びを感じていたはずの若者達。

 

幸せになる為に反抗してきたのに・・・。

 

もう学生運動は終わった・・・。

 

どこに幸せを求めればいいのか・・・。

 

 

 

 

 

そんな時に吉田拓郎

 

あの曲が発売された・・・。

 

 

 

 

僕の髪が肩まで伸びて

君と同じになったら

約束どおり街の教会で

結婚しようよ

 

 

 

 

 

まさかのラブソングだ!

 

フォークソング=政治的な歌だったのに!

 

ついにフォークソングの歴史も動いた。

 

吉田拓郎が動かした。

 

この『結婚しようよ』という曲で時代を変えたのだ。

 

この曲を聴いた若者達は思った。

 

『そうか。。。もう恋愛したり誰かを愛したりすることに幸せを求めていいんだ。。。』

 

 

 

 

 

この『結婚しようよ』という曲の歌詞は

 

今の時代の若者が読むと「は?」みたいな感想になると思うが

 

『男が髪を伸ばす』という行為に

 

『【社会への反抗】以外の意味を持たせた』として歴史的に重要な歌詞である。

 

 

 

 

 

 

歴史を動かした吉田拓郎はカリスマとなり

 

新たな歴史をどんどん作っていく。

 

吉田拓郎が作っていった歴史は

 

ここに書くには量が多過ぎる。

 

 

少しだけ紹介したい。

 

 

 

 

 

まず

 

『テレビ出演しない』

 

これは今でこそテレビに出演しないで売れているミュージシャンは多数いるが

 

当時はテレビに出て顔を覚えてもらってレコードを売るのが常識だった。

 

つまりテレビの方が偉くて力を持っていた。

 

それに吉田拓郎は反発。

 

『テレビ出演拒否』

『マスコミの取材も拒否』

『人気絶頂期に結婚』

 

それまでの人気ミュージシャンの常識を破りまくっても

 

発売したアルバムは15週連続でランキング1位で独走状態。

 

これによって

 

テレビやマスコミの力は必要が無いことが証明され(良い曲さえ作れば売れる)

 

ミュージシャンという職業自体の地位を向上させた。(ミュージシャンがテレビ・マスコミ関係者から上から目線で対応されることがなくなった)

 

 

 

 

 

 

次に吉田拓郎が作った歴史は

 

『コンサートツアーをやる』だ。

 

今でこそ当たり前のようにミュージシャン達は全国ツアーをやっている。

 

自分達のスタッフを引き連れて

 

アーバスに機材を乗せて全国各地で歌っている。

 

当然のように。

 

 

 

これを日本で初めてやったのが吉田拓郎だ。

 

当時は地方の権力者が

 

何組かのミュージシャンを呼び

 

「1組の持ち時間は15分ね」って感じのコンサートばかりだった。

 

それに吉田拓郎は反発。

 

「俺は2時間1人で歌う。俺のやり方で!」ってことで

 

スタッフを引き連れて単独ツアーを始めた。

 

このやり方が今では常識となった。

 

ちなみに

 

吉田拓郎以降のミュージシャン達が

 

当たり前のように単独でコンサートツアーをやるもんだから

 

地方でのコンサートプロモーターが必要となり

 

それまで職業として存在すらしなかったチケット業者や情報サービス業者が誕生し

 

結果的に新たな産業を生み出した。

 

単純な話、吉田拓郎がいなかったら

 

『チケットぴあ』という会社なんかは創業すらしていないわけだ。

 

 

 

話は少し変わるが

 

野外で5万人以上を集めたオールナイトライブを開催したのも

 

吉田拓郎が初だ。

 

このライブは開催地近隣の行政・警察・PTAから反対されながらも(治安が悪くなると予想された為)

 

大きな混乱もなく成功を収めた。

 

この野外大型コンサートの成功がなければ

 

今の『夏フェス』も存在していない。

 

 

 

 

 

最後に吉田拓郎が作った歴史として紹介したいのが

 

『他のミュージシャンに楽曲を提供する。ミュージシャンをプロデュースする』だ。

 

 

 

これをやったのも吉田拓郎が初。

 

それまでは

 

作詞は『作詞家』に

 

作曲は『作曲家』に

 

プロデュースは『プロデューサー』に・・・

 

が常識だった。

 

それぞれの専門家に任せていたわけだ。

 

もちろん

 

自分で全部やるシンガーソングライターは存在したが

 

そのシンガーソングライターが

 

他のシンガーソングライターに楽曲を提供してもらうなんて皆無だった。

 

アイドルや歌手は

 

すべて専門家が作った歌を歌っていた。

 

それを打ち壊したのも吉田拓郎

 

演歌歌手の森進一には『襟裳岬』を提供し大ヒット。

 

アイドルのキャンディーズにも提供し大ヒット。

 

プロデュースしたミュージシャン達は人気者となり

 

その後の『小室哲哉』や『つんく』のような

 

ミュージシャン兼プロデューサーの先駆者となった。

 

 

 

 

 

 

・・・こうやって数々の歴史を作った吉田拓郎というカリスマは

 

ついに『神様』と呼ばれる存在に。

 

作ってきた歴史が大き過ぎて

 

『神様』と呼ばれても変ではない。

 

 

 

 

 

 

そんな吉田拓郎を聴いて

 

今の『偉そうにしてきただけの年配者』は若者から大人へと変貌してきたのだ。

 

つまり

 

若い頃には彼らもムカついていたはず。

 

年配者に。

 

俺が年配者へムカついている以上にムカついていたんだと思う。(火炎瓶とか投げてるし)

 

吉田拓郎のように『歴史に反発して新たな歴史を作り上げる』ことに憧れていたかもしれない。

 

 

 

 

でも

 

なれなかったのだ。吉田拓郎に。

 

絶対に憧れはあったはずだ。

 

それでも

 

なれなかったのだ。

 

 

 

 

 

吉田拓郎の『祭りのあと』という曲に

 

こんな歌詞がある↓

 

 

 

祭りのあとの淋しさが

いやでもやってくるのなら

祭りのあとの淋しさは

たとえば女でまぎらわし

もう帰ろう、もう帰ってしまおう

寝静まった街を抜けて

 

 

 

 

 

 

・・・そうだ。そうに違いない。

 

現在の『偉そうにしてきただけの年配者』は

 

今『まぎらわし』ているのだ。

 

若かった時期の

 

お祭りムードは消え

 

振り返ったら何一つ残せてなかった。

 

だから

 

『まぎらわし』して誤魔化しているのだ。

 

その『まぎらわし』の行為が

 

『現在の若者に偉そうにする』なのだ。

 

それをやることによって

 

寂しさを誤魔化しているのだ。

 

 

 

 

 

そう思うと

 

『偉そうにしてきただけの年配者』を

 

少しだけ

 

許してやろうか・・・の気持ちにもなる。

 

全員・・・なれなかったんだよな。

 

吉田拓郎に。

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吉田拓郎が年内で事実上の引退を決めたって報道されてた。ヒーローからカリスマ。そしてカリスマから神様になった男。この人がいなかったら今の音楽界はない。絶対に。俺が好きなあのミュージシャンもアナタが好きなあのミュージシャンも吉田拓郎がいなかったら存在していない可能性が高い。ありがとう吉田拓郎!)