こんにちはー!桜田紋吉(もちろん仮名)ですよ!最近めちゃくちゃオナラが出ます。止まりませんね。臭いし。やれやれです・・。
しかもさ・・
何でかな・・
気分が落ち込んでいます。
たまにあるんですよね。「俺って何なんだろう?この人生は何なんだろう?」ってバカみたいな【スイッチ】が入るんですよね。
ふとした時に入るんですよ。気付いたら入っているんですよね。参っちゃいますよ・・。
はっきりと覚えているのですが・・
16歳(高1)から【スイッチ】が入る様になってしまいましたね。
最近は【スイッチ】の回数も減っていっているのですがー・・
30越えたおっさんになった今でも【スイッチ】が入るなんて若い時には夢にも思いませんでしたね。今や嫁と子供もいるのに・・。
その【スイッチ】が人生で初めて入った日の事はマジではっきりと覚えています。
とりあえず・・
俺の記憶を「中3の三学期にあった進路相談」にまで遡りましょうかね。
このブログを前からちょくちょく見てくれている人はご存知だと思いますが・・
俺の両親は「鬼のように厳しい母親」と「その母親のご機嫌を取り続けつつ尻に敷かれまくっている座布団のような父親」でした。
両親関連の過去ブログはコチラ↓
「スポーツ禁止」からの「スポーツしなさい」 - 振り返ればオアシス!
母親がモンスターならば父親は救世主・・になれるか? - 振り返ればオアシス!
ですので・・
中学生の頃は毎日のように・・
「良い大学に進学しなきゃいけないのだから高校はもちろん進学校に行きなさい」
と母親から言われ続けていました。
ですが・・
俺は勉学が大嫌いでした。勉強をする楽しさや喜びは一度も感じたことはありません。一度も。
実際、成績も「中の上」でした。もっと成績を上げたい・学校でトップクラスになりたいとかは思ったことすらありません。
「親にキレられたくない」「親に嫌われたくない」という理由で、親の見える範囲だけ勉強をしているフリをしていました。(塾に通ったり、参考書を解いたり)
俺の優等生キャラが両親のお気に入りだったみたいなので(ずっと両親の前では優等生キャラを演じてました!)
親の言うことには「はい」と必ず言うようにしていました。・・・というか「はい」と言うのが体に染み付いていたので【自分の意見を言う】という発想がまずなかったです。そもそも「自分の意見」を持っても無駄だった家庭でしたので・・。(俺の興味のあること・好きなこと・得意なことは両親はガン無視していたからさ。両親がやらせたいことしか俺はやれなかったのよ)
もちろん・・
中学校の中では家とは全く違うキャラクターでした。
特に夢も希望もなく、人との争いや競争が嫌いで、毎日のほほんと過ごせたら別にいいぜ俺は。・・という「ちびまる子の男子中学生バージョン」のような学生でした。
今思えば・・
家でのキャラと中学校でのキャラにギャップがありすぎて毎日、物凄く疲れていた記憶があります。
・・・・で、そんな日々も過ぎていきます。
気付けば・・中3の進路相談の時期です。
進路相談は「本人・親・担任の先生」の三人が話し合うのですが・・
その進路相談の数日前に1枚のプリント(進路相談までに提出するやつ)を担任の先生から貰ったんですよね。
貰ったプリントには「第一志望・第二志望・第三志望の高校」を書く欄があって、その情報をもとに進路相談があるらしく・・
他の生徒は、自分の行きたい高校を素直に書いていたのか、それとも親と相談して書いていたのか、もしくは白紙で提出して行ける高校を先生と相談して書くのか・・色々なパターンの生徒がいたとは思いますがー・・
俺の場合は・・
母親が勝手に書く!!!(もちろん俺には相談なし)
これです。さすがですよね。
で書いてあった内容が・・・
第一志望【◯◯高校】←これは一流進学校
第二志望【△△高校】←これが三流進学校
第三志望【無記入】←何も書いてねぇ(笑)
・・・・って感じでした。
家の近所には進学校は2ヶ所しかなくて
めちゃくちゃ勉強が出来る人が合格する一流進学校(将来は医者になる人もいます)と・・
普通に中学校へ通ってて、普通ぐらいの成績なら合格する三流進学校の2ヶ所がありました。
もちろん
近所には工業高校や商業高校もあります。
しかし、母親は進学校しか高校だと認めてないレベルでしたので・・
必然的に第二志望までしか記入してありませんでした(笑)さすがです。
俺は驚きました・・。
母親の進学校に対する執着心に驚いたわけではありません。(その執着心には慣れていたし)
「ウチの息子は一流進学校に合格出来る」と思っていることに驚きました。
三流進学校を第一志望にしているのなら分からなくもないのですが、一流進学校を第一志望にしているという・・
「分かってます?アナタの息子の成績は中の上ですけど?成績表は渡しているから知らないわけないですよね?」
・・みたいな、母親の【現実を直視せずに理想だけを追い求めている感じ】に少し恐怖を覚えました。
それでも・・
「まぁ・・母親が書いたんだからコレを先生に提出しなきゃな。仕方ないわ。」
という【自分の意見ゼロ】で翌日提出しました。
・・・・すると
その志望校を書いたプリントを提出した日の放課後に担任の先生から・・
「おーい。桜田。ちょっと職員室に来てくれるか?」
と呼び出しが・・。
職員室に行き・・
担任の先生の横に座り・・
桜田「なんですか?」
担任「この志望校はお母さんが書いたの?」
桜田「そうです。そうです。」
担任「まぁ・・そりゃそうだよな。」
桜田「あっ。この◯◯高校(一流進学校)でしょ?コレは無理ですよね(笑)さすがに俺は分かってますから。そこは不合格になるって分かってますから。」
担任「いや、そうじゃなくて・・」
桜田「・・はい?」
担任「なんで進学校?お前の性格じゃ浮くぞ。多分、進学校に合格したとしても入学後からキツイぞぉー・・」
桜田「・・・・あぁ、そうですかね?」
担任「そうだと思うけどなぁー・・おまえ器用だし、勉強勉強って性格でもないから工業高校とか行ったら輝くと思うんだよなぁー・・」
桜田「なるほど。そう言われたら・・そんな気がしてきました。そっちが自分に合ってる気もしますね。ってか、そっちが楽しそうだなぁ。」
担任「だろ?」
桜田「でも・・母親が決めることなんで。」
担任「なんで?おまえが行く高校だろ?」
桜田「・・・・そうですけど。」
担任「まぁ・・色々な家庭があると思うけどさ・・一回考えて自分がドコに行きたいか答えを出したらどうだ?」
桜田「・・確かにそうですよね。」
担任「答えが自分の中で出て、その答えが親と違った時は・・ちゃんと伝えた方がいいぞ。」
桜田「分かりました。」
俺は職員室から退出しながら・・
心臓がドキドキしていました。
担任の先生から【おまえは自分の意見すらゼロのスカスカ人間なんだよ】って見透かされている感じがしたからです。
そして
この歳(中3)まで【自分】という人間を誤魔化しながら生きてきたという事実を少しだけ認識し始めたからです。
「うわっ・・俺って・・俺は何なんだ?」
ぼんやりと・・本当にぼんやりとですが、初めて「自分」という人間を意識していきました。(まだ【スイッチ】は入りませんでした)
そして帰宅し・・
さっそく担任の先生に言われた言葉を母親に伝えてみました・・
「今日さ、担任の先生から呼び出されて、俺は工業高校とかも合うはずだから工業系も考えてみたらどうだって言われたんだよね。」
もちろん・・
「おまえは進学校では浮くぞ」や「合格したとしても入学後からキツイぞ」という担任の先生の言葉は母親にはストレート過ぎると思ったので言わずに遠回しに伝えました。
・・すると、母親は
「はぁー!?工業高校!?今からの時代に良い大学にも行かないで生きていけるわけないのにね!!!もちろん◯◯高校(一流進学校)しか頭にありません!って言ってきたんでしょ?」
顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らす母親・・
やはり俺は十八番のー・・
「はい」
と言うしか術がなかった。(弱いなぁ)
次の日
担任の先生に「やっぱり進学校でお願いします」と伝えたところ・・
今度は
部活の顧問の先生から呼び出されました。
呼び出されて言われたことは・・
「担任の先生から桜田が進学校を第一志望にしてるって聞いたけども・・君は進学校ってタイプじゃないし、XX工業高校に行けば君の良さにも磨きがかかると思うよ。俺は3年間ちゃんと君を見てきたし。悪いことは言わない・・XX工業高校を受験しなさい。」
・・という内容でした。
担任の先生と顧問の先生の二人から
「進学校は止めとけ」
と言われた俺・・。
特に3年間ずっと俺のことを見守ってくれていたであろう顧問の先生が工業高校を推してくれたってのが心に響きました。
部活の時も「器用で技術もあるけど協調性がないもんなぁー」と言われていましたし(確かに協調性がないのよ)
「1人で黙々と何かを作るみたいなのが向いているはずだ」とも言われたので、俺のことをよく見ながら人間性を分析してくれていたのだと思います。
よって・・俺の気持ちは・・
「俺はXX工業高校だな」
・・・・になっていました。(そりゃ合わないって言われる学校より、合うって言われる学校に行きたいよ俺も)
帰宅後・・
再び母親への報告をします。
今回は「報告」という名の「説得」でもあります。
台所で夕飯を作っている最中の母親に恐る恐る近づきます・・。
「あのさ、今日は顧問の先生に呼ばれてさ、やっぱ俺はXX工業高校とか合ってそうなんだよね。担任の先生と違って、3年間も俺を見てきた人が言ってるからさ・・」
次回へ続きます。
(今回はオチも笑う箇所も無いブログで申し訳ないです。そろそろ【今の自分を形成したであろうターニングポイント的な出来事】をブログという名の記録という形で残しておこうと思いながら書いています。カッコよく言えば太宰治が人間失格を書いたあの感じです。←大きく出たなオイ!太宰治は人間失格を書いた直後に自殺しましたが・・俺は・・生きる!!!←やかましいわ)